私にとっての内発的発展論のルーツその1

中等教育の現場にいた後半の20年間は環境教育に力をかなり入れた。はじめは地域の自然誌を中軸に置いた学習で、次第に地域の環境史に力点を移した学習に発展していった。1990年代、環境教育の実践の方向性を模索していて出会った本の一つが宮本憲一著『環境経済学』(1989年、岩波書店)である。この本の第5章は「内発的発展の住民自治」である。そして、第2節「住民運動自治」の2に「環境自治のシステムと環境教育」とあり、環境教育が『環境経済学』の中に位置付けられている。これは私にとって衝撃的であった。環境教育は理科教育(より正確には自然科学教育)の枠内にとどまっていてはならないという予感はあった。この本に出会ってから、私の環境教育は理科教育の範疇から大きく飛躍し始めた。また、教育課程改定によって、教科の枠を超えた総合学習という新しい教育活動の場も確保されつつあった。
宮本は「自治権と環境権が確立し、住民参加が制度化したとしても、これらの権利や制度によって環境の質を維持・向上できるかどうかは、人民の文化水準(人間の「質」といってもよい)と自治能力(地域の政治や経済を管理する能力)にかかっている。高い文化水準や自治能力が生まれるのは教育によるところが大きい。」(342p)と教育活動にエールを送る。そして、「環境教育はデスクワークでなく、公害の現場を見る体験学習、自然の観察あるいは栽培のように自ら汗を流すようなフィールド・ワークをおこなわなければ、環境のもついみはわからない。」(344p)と指摘する。そして、「都市・地域計画への知的参加」、「たんに自然や街並みを観察し、学習するのではなく、自ら創造」、「国際交流」(345p)と具体的に提言する。この提言は私がそれまでにおこなってきた環境教育とリンクし、さらには発展につながると感じた。そして、「内発的発展論」が私がこれから展開しようとする環境教育の理論的背景になると思った。宮本は内発的発展を次のように定義する。「地域の企業・組合などの団体や個人が自発的な学習により計画をたて、自主的な技術開発をもとにして、地域の環境を保全しつつ資源を合理的に利用し、その文化に根ざした経済発展をしながら、地方自治体の手で住民福祉を向上させていくような地域開発を「内発的発展」(endogenous development)とよんでおきたい。」(294p)
その後、宮本憲一氏をインタビューして出版する計画が実現した。『くるま社会 環境問題の未来①』(2003年、旬報社)である。ここでも内発的発展論を語っていただいた。「内発的発展論で私は、農村が農村の資源、これは宝の山」「それをうまく利用」する「肝心の人材がいないわけです。」「農業のもっている価値とか、あるいは自然に親しむことの楽しさとか、そういうものをとり戻さなければいけない」。「私の好きなマンフォードに『都市の文化』という本があります。これは都市のことを書いているのですけれども、マンフォードは常に、結局、都市が生存していくためには農村が発展していて、そして農村と共存していなければ都市はあり得ないと考えているのです。」(82-83p)この点の私の環境教育での実践は、在職中は構想だけに終わった。退職後の私自身の生き方に実践の場を設け、考察することになった次第だ。なお、この本の後記で私の環境教育の概要を紹介している。(106-107p)インタビューが終わって、持参した『環境経済学』の見返しにサインをいただいた。そこには、「足もとを掘れ そこに泉涌く 宮本憲一」とあった。