『自然を詠む 俳句と民俗自然誌』(篠原徹著、2010年、飯塚書店)から派生した芋づる読書日記・2011年1月〜2月

そもそものきっかけは、2011年12月、年末も押し迫った神田古書会館で手にした篠原徹著『自然を詠む 俳句と民俗自然誌』(2010年、飯塚書店)である。著者についてはなにも知らない。書名の「自然を詠む」というところが、私の詠む俳句と重なったため、手にしたのだろう。この手の本にはいい加減なものが多い。奥付の著者略歴を見ると、まともな民俗学者のようだ。民俗自然誌というジャンルにも惹かれるところがある。
民俗学者の篠原が俳句に関心を持ったのは人類学者・伊谷純一郎の著作集の解題を執筆することが大きなきっかけになったようだ。伊谷は何度ものアフリカの調査の折に必ずと言ってもよいように『芭蕉連句集』を携行している。このことは、伊谷のエッセイにかなりでてくる。そして、篠原は「自然についてのすぐれた理解者であった伊谷の感性と俳句との関係を解いてみたい」(14p)と述べる。その成果は俳諧・俳句の擬人法的な手法と今西錦司伊谷純一郎などにより開拓された日本の霊長類学の餌付け・個体識別の手法と長期観察の記録における擬人法との関連の発見である。篠原は「俳諧・俳句の擬人法とこの「共感」・「類推」の近似性に気づいただけではなく、伊谷純一郎の生物世界の擬人法的叙述法は俳諧・俳句に由来すると確信するに至った。さらにそれが彼の師匠であった今西錦司に連なっていき、その系譜は柳田國男にまで至ることがわかってきた。」(143p)と結論付ける。このほか俳句と民俗自然誌との関係を断片的に綴っているが、私にとっては目新しくなく興味をそそらなかった。姥捨山での「現在の生活の風景に埋め込まれる歴史の重層性こそが、景観や風景を見る重要な目だと思った。夥しい句碑の列はこうした風景に埋め込まれた歴史をどう詠んできたのか、調べてみるとおもしろいと思った」(130p)という感想は示唆に富む。
篠原が伊谷と日本近世史学者塚本学との対談をアレンジした本がある。『江戸とアフリカの対話』(1996年、日本エディタースクール出版部)だ。伊谷のトゥルカナ旱魃の記録と塚本の研究した江戸の飢饉をめぐった論議あたりが面白かったが、全体に議論がすれ違った感じがした。伊谷純一郎の著作は昨年の秋にまとめてかなり読んだ。そして、伊谷が指導した京都大学霊長類研究グループの第二世代の著作の読書に芋づる的に広がり、読みすすめていた。今回はこの芋づるとリンクしたことになる。なお、今西の著作は15年ほど前にほぼすべて読んでいる。こうした読書をもとに篠原の発見が意味を持つのか考えたが、よくわからなかった。また、塚本学の著作をいくつか入手したが、これはまだ読みすすめていない。
篠原が専門にしている民俗自然誌の仕事は学んでみる価値があると思った。まず読んだのは、最初の論文集である『自然と民俗 心意の中の動植物』(1990年、日本エディタースクール出版部)だ。広島県三次での調査をまとめた「鵜のこころ・鵜匠のこころ 共生する野生の世界」(142−198p)は力作で大変面白かった。続いて『自然を生きる技術 暮らしの民俗自然誌』(2005年、吉川弘文館)。これは書下ろしの著作で、著者がフィールドワークを行った雲南の棚田、海南島焼畑エチオピア・コンソの玄武岩の山地での畑作、島根県美保関の山アテによる一本釣り漁、岡山県真庭市里山の調査の結果などをもとに「「人と自然の関係性」をそれぞれの地域で、「生きる方法」として叙述」している。これは面白く、一気に読んでしまった。次は、『アフリカでケチを考えた エチオピア・コンソの人びとと暮らし』(1998年、筑摩書房・ちくまプリマ―ブックス)。これは中高校生が読者対象の本だが、水準の高い人類学の記録となっている。『自然とつきあう』(2002年、小峰書店)は小学校高学年・中学生が対象の本だが、ほかの本では紹介されていないイラクのヌーレ・アミン村のヒツジ・ヤギの放牧、長崎県対馬の日本ミツバチなどの研究も織り交ぜて語る。これもおもしろい。このほか、単著で『海と山の民俗自然誌』があるようだが入手できなかった。
篠原には編著も多い。『島の生活世界と開発② 中国・海南島 焼畑農耕の終焉』(2004年、東京大学出版会)。篠原は「序章 リー族の生活世界の現在と開発」を執筆している。『現代民俗学の視点第1巻 民族の技術』(1998年、朝倉書店)では、「序章 民族の技術とは何か」を執筆。『近代日本の他者像と自画像』(2001年、柏書房)では「序論」、『現代民俗誌の地平1越境』(2003年、朝倉書店)では「総論 越境する民俗の現代的意味」を執筆している。寺嶋秀明との共編著『講座生態人類学7 エスノ・サイエンス』(2002年、京都大学出版会)では「実践としてのエスノ・サイエンス 論文解題」を執筆している。いずれも論文集で、入手したが、まだ読了はしていない。共著者に興味を持つと、ここからまた芋づるが伸びることになる。もっとも、読みすすめるかはまだわからない。