柄谷行人『遊動論 柳田國男と山人』(文春新書、2014)を読み終わった

柄谷の提唱する「資本=ネーション=国家を超える手がかりは、やはり、遊動性にある。…狩猟採集民的な遊動性である。」(192p)という視点から、柳田國男の山人、狼、さらには固有信仰の論述を読み解く。そして、柳田の農政学を、「…協同組合を農業ではなく、農村、すなわち人々のさまざまなネットワークから考えようとした。したがって、それは、農業、牧畜、漁業のみならず、加工業、さらに流通や金融を包摂するものである。柳田の共同組合は、究極的に、農村と都市、農業と工業の分割を揚棄するすることを目指すものである。」(64p)と評価する。また、この論点を宇沢弘文の社会的共通資本(共有材)、コモンズとしての農村に見出す(65-67p)。テキストの深い読みを教えられた一冊である。