先を急がず  山岡蟻人


俳句結社・童子・『童子』2014年4月号92-93ページに掲載されたもののもと原稿です。編集により細部の変更があるかもしれません。正確には雑誌をご確認ください。

童子』2月号月評 先を急がず
 山岡蟻人

火加減を小さくちひさく初時雨 辻 桃子
 煮物(前の句から見ると、ジャムを煮ているのかもしれない)をしているのだろう。火につきっきりで、沸騰すれすれの温度を保つ。ほつほつと煮える音。そして、かすかな雨音。急いでは、おいしく炊き上がらない。
 短日のふつふつ煮出すどくだみ茶
            石川 妙
 こちらは土瓶でどくだみ茶を煮出している。夏に自分で干して作ったものだろう。お昼から始めたが、日がだいぶ陰ってきた。だが、急いで煎ずると効き目がなくなるような気がする
  暗がりへ春椎茸を採りにゆく
           浜崎素粒子
 逢魔が時に無性にお酒を飲みたくなることがある。手酌で飲み始めるのがよろしい。急いで肴を作ることもない。ありあわせのものでよい。そういえば、榾木に椎茸が出るころだな。軽く炙って当てにしよう。
  冬籠拡大鏡をよく磨き
            安部元気
 依頼された原稿がかなりある。調べものの資料、読みたい本も積んだままだ。今年は雪が深く、冬も長くなりそうだ。まあ、急ぐこともない。とりあえずはご厄介になりそうな拡大鏡でも磨いておこう。
  餅つきの音につられて回り道
            薗部庚申
 農村でも業務用餅つき機(実際は餅捏ね機と言った方が良い)が使用される昨今、路地から杵と臼を使った餅つきの音がする。急いでいるわけではない。遠回りになるが、路地に入って、ちょっと餅つきを覗いていこう。
  蒟蒻玉ならべ峠のなんでも屋
           はらてふ古
 一つあれば食べきれないほど蒟蒻ができてしまう蒟蒻芋。それがいくつも店先に並べてある。近くの農家が預けたのだろうか。なんでも屋だが、近所の家は買わないだろう。急いで売らなくとも、腐りはしない。ひょっとすると、物好きな観光客が買うかもしれない。
  砂丘まで来て草紅葉見てかへる
            佐藤明彦
 手間暇、それにお金もかけて、人のすすめる砂丘にやって来た。海があって砂丘があった。砂丘の裾にわずかに草が生えている。黄葉し始めたのは茅か弘法麦か。砂丘の背後の塩湿地に回ると真紅に紅葉した浜松菜の小さな群落があった。ものすごく美しい。急ぐ旅ではない。ほんとうに良いものを見た。
  鳴く鴉応ふる鴉冬ぬくし
            田代草猫
 カアと鳴けば、カアと応える。このところ何日も寒い日が続いた。だが、今日はうって変わって穏やかに晴れて暖かだ。こわばっていた体がちょっとほぐれた。急ぎの用事もない。電線に止まっている鴉につい見入ってしまった。
 かと言うて手抜もならず栗を剥く
            池 蘭子
 包丁を持って栗の皮を一つずつ剥いていく。笊にはまだたくさん栗が残っている。永久に剥き終らないのではないか。一瞬、そのような思いがよぎる。だが、急げば手元が狂って、怪我をする。やがて剥き終り、おいしい栗おこわが炊き上がるだろう。
  寝てる間に熊はリュックを持ち去りし         上原和
 伐採や間伐、植林など山仕事では、お昼ご飯の後は、ビニルシートを広げて昼寝だ。急いでは、山仕事はこなせない。ザックはたいてい枕にする。これを熊に持ち去られた。重労働の後、本当に気持ちよく熟睡していたのだろう。おかげで、熊に危害を加えられることもなかった。ちょっとほら話っぽいところもいい。
  強情に引きずり歩き千歳飴
            中 小雪
 千歳飴の袋はほんとうに長い。袋の底が玉砂利と擦れ、両親や祖父母はいつ破けるかとハラハラする。持ってあげるよと言っても、子どもは引きずる音と様子を楽しんでいる。急いで取り上げようとしても放さない。自我がしっかり出来てきた三歳の女の子の確かな成長を喜びたい。
 『真名抄』に「子育てに励んでいると、読んだり書いたりすることは邪魔に思えてくる。」「それでも…虚子は…子育ても一心にやったのだ。」とあった。
 ひとまはり痩せて子連れて女正月
            如月真菜
 子育ては大変な事業だ。ことに母親に大きな負担がかかる。勉強や創作活動は忙しい子育ての合間を縫うほかない。身を削るほかない。ほんとうにせつない。だが、子育ては二度とできない貴重な経験だ。これが創作活動に生きないはずはない。子どもを急がせてしまったり、自身が急いでしまっては元も子もない。生き方、暮らし方に決意をうかがわせてくれる。
 「先を急がず」にという視点で句を鑑賞した。浮かび上がったのは、丁寧に生きることの素晴らしさだ。なんと充実した、楽しい暮らしぶりか。私は、高度成長期を駆け抜けた。先を急げと言われ、先を急ごうと思い続けた。急がないことは、無駄とされた。だが、待っていたのは、本当の豊かな暮らしではなかった。房総の先端で大地を耕しながら、先を急がないことの意味を味わい始めた。