5月から6月の島状読書日記

 農繁期に入り、読書は断片的になった。これまでの芋づるとは異なり島状の読書だ。
 一つの島は2月7日に亡くなった千石正一の本である。『つながりあういのち』(ディスカバー・トゥエンティワン、2012年4月)と『いのちはみんなつながっている』(朝日文庫、2004年12月)。前者は最後の著書である。いずれも、千石節のあふれた好著。清澄山の東大演習林の古い学生宿舎で、飲み・語り明かしたころを思い出した。千石さんは大学生だった。
 次の島は動物写真家・宮崎学の大人向け写真絵本。『カラスのお宅拝見!』(新樹社、2009年12月)と『となりのツキノワグマ』(新樹社、2010年7月)。前者は日本各地で撮影したカラスの巣100巣の写真集で樹種・巣の高さ・巣のサイズ・巣材などのデータがつく。卵の殻の色と模様の微妙な違い、カラスの雛の真っ赤な口が印象的だ。宮崎さんの子どものころからの特技である木登りの技が生きる。後者は私がお邪魔したことのある駒ケ根高原のお住まいのあたりが舞台である。10年ほど昔、案内してくれた熊棚などの写真が懐かしい。「自然は黙して語らない。だが、たしかな視線で複眼的に発想し、アプローチしていけば、いつのまにか自然は、饒舌に語りだすにちがいないのだ。」(159P)という言葉は「自然界の報道写真家」を自称する宮崎さんの面目躍如たるものがある。
 次の島は中沢新一の著書だ。3月、4月の読書の延長である。一部を読んでいたカイエソバージュⅠ〜Ⅴの5冊(講談社選書メチエ、2002年から2004年)をまとめて読んだ。「旧石器人類の思考から一神教の成り立ちまで、「超越的なもの」について、およそ人類の考え得たことの全領域を踏破してみることをめざして、神話からはじまってグローバリズムの神学的構造にいたるまで、いたって野放図な足取りで思考が展開された。」(各巻はじめに)のねらいが語られた刺激的なシリーズだ。ここからは放射状に芋ずるがでそうだ。今回は中沢の贈与論を展開した『純粋な自然の贈与』(1996年、せりか書房)にとどめておいた。
 次の島も3月、4月の読書の延長で、中沢の対談本である。今回の始まりは中沢新一坂本龍一『縄文聖地巡礼』(2010年5月、木楽舎)。この本も刺激的で、これまで避けていた坂本龍一に興味・関心を持つきっかけになった。ということで、アマゾンを駆使して、坂本のCDをかき集めて聴いてみた。まあ面白かったが、私はのめりこめない。かわりに坂本龍一辺見庸の対談本『反定義 新たな想像力へ』(朝日文庫、2006年)を読んだ。これは9・11をきっかけにした激しい対談だ。「非対称」がキーワードになる。ここは中沢の主張と接点を持つ部分である。続いて『縄文聖地巡礼』の原点になった中沢新一細野晴臣『観光』(ちくま文庫、1990年)も読んだ。大きな問題意識はお互いになかったようで、放談が楽しい。UFOもちょこっと話に出て来るので、ユングの『空飛ぶ円盤』(ちくま学芸文庫、1993年)も読んだ。テーマや題名は何となく胡散臭いが、無意識による幻視に焦点をあてて掘り下げたきちんとした心理学の本であった。ユングの作品なのだから、まあ、当たり前か。で、また対談に戻る。次は3人なので鼎談である。中沢新一夢枕獏・宮崎信也『ブッダの方舟』(河出文庫、1994年)。これは仏教に関わっている聖地を巡礼しながらのやはり刺激的な鼎談で、仏教の思想が大きなテーマになる。基本的な仏典を集める羽目になった。まだまだ小さな島はたくさんあるが省略する。
 島状の読書だが、航路はあるようだ。すでに島はお互いつながり始めた。