俳句評論・『童子』7月号月評 ほどよく即ける 山岡蟻人(山岡寛人の俳号)著

童子』2012年9月号(童子吟社)に俳句評論が掲載されました。その原稿を転載します。編集作業の結果は直してありません。引用される場合には、原本78-79ページにあたってください。


 七月の立冬句会(ファックス句会)で、辻桃子主宰は「どの句も飛び方が足らぬ!俳句は短いのだから飛躍せねば」と選後に檄を飛ばした。
 私の作句における飛び方の不足は、次のようにまとめられるだろう。
①「…だから」という説明に陥る一物仕立の句を作っている。
②二物衝撃が効果的に成り立つような季題をきちんと選んでいない。
 そこで、今回は次のような句を鑑賞することにした。
①説明に終わっていない即け方になっている句。
②一見すると全く関係なさそうな取り合わせだが、景が広がってくる句。表現された字面より、描かれた世界がずっと広い句ということになる。
 桃夭集に私の俳号が前書になった句がある。
  山岡蟻人は
 笹起きて欲しき箕なりと買つてきし
 さへづりや手箕大きく軽きこと
           辻 桃子
 このときに私の作った句は、『春合宿・信州戸隠吟行』(佐藤明彦記)に紹介されている。
 藤皮の箕に編み込むを種選び
           山岡蟻人
 私の入手した箕に即けた季題は「種選び」。箕で行う農作業そのものだ。これでは世界が広がらない。
 主宰の即けた季題は箕とは直接関係がない。前の句では前書とともに「笹起きる」が箕に即けられる。山の笹が雪に埋もれるようなところの箕などの竹細工を商う店のたたずまい。あたりでは雪解けが始まり、雪に埋もれていた笹が起き出した。雪解水が流れている。この水は集まり、やがてふもとの田に引き込まれる。田起し、代掻きももうすぐだ。苗代に蒔く種籾の準備も始まるだろう。前書の人物のこれからの農事を思い、そわそわしている様子が浮かび出る。
 後の句。手箕は両手で持って上げ下げする農具だ。放り上げられたものは重さの違いで落ち方に違いがでる。風を当てれば軽いゴミを選別できるというわけだ。軽くて大きいことが箕の身上である。もう一つある。プラスチック製の箕は受け止める時に大事な籾などをはじいてしまう。竹製の箕は柔らかく受け止めてくれる。軽やかな箕の作業と鳥の囀りが楽しげに響きあう。やがて始まる鳥たちの繁殖が、稲の豊作を期待させる。
 凍解や目立ての鋸の並べられ
           桜庭門九
 山の巨木を伐り倒し、林道近くまで搬出するのは積雪期が適している。玉切した巨木は林道近くに積み上げる。林道は雪で埋もれ、氷っていてトラックは通れない。春になり、氷っていた林道が解け始める。「凍解」だ。町の貯木場や製材所まで下ろす時が来たのだ。製材用の大きな丸鋸・帯鋸の整備も万全である。長い冬が終わり、製材所に活気が戻ってきた林業の町の大きな景を私は思った。
 鳥交る修験の山の奥の奥
           舟まどひ
 作者はまだ雪の残っている厳しい道を奥社へ向かっている。森の木立の中から盛んに鳥のさえずりが聞こえる。交尾もしている。春の深山で行われている生き物たちのさまざまな繁殖の営みを思わせる。取り合わされたのは修験道修験道密教とのかかわりが深い。密教と言えば歓喜天。草木国土悉皆成仏という仏教の深い教えまでもが思い起こされ、響きあってくる。
 鳥獣の万の蠢く更衣
           如月真菜
 夏の季題には鳥獣だけでなく虫魚も多い。また、動物たちの名称だけではなく、蛇衣を脱ぐのように行動・生態まで盛り込まれた季題もたくさんある。このような動物たちのダイナミックな営みを作者は「鳥獣の万の蠢く」と表現した。そして、更衣を即けた。更衣によって薄ものを羽織ってもなお汗でじっとりする季節だ。通勤・通学の夏服姿の人びとのむんむんした熱気と不思議に響きあう。
 したたかにレモン搾れば杜鵑
           佐藤明彦
 柑橘類のうちで、レモンは果汁が乏しい。料理に添えられたものは、ことのほかぱさぱさしている。作者は懸命にレモンを搾っている。ちょうどそのとき杜鵑が鳴き渡った。レモンを搾るというあまりにも日常的な瑣事に作者は熱中している。鳴き渡る杜鵑の声は、けたたましく、せっぱつまった鳴き方だ。この声に作者ははっとした。自分は何と毎日をあくせくと、追いつめられたように過ごしているのだろうか。私は、試しに思いつくいろいろな鳥を即けてみた。杜鵑は動かない。
 度忘れの多くなりけり葱坊主
           菊池しをん
 葱坊主ができ始めると、葱は一気に硬くなる。出荷するわけではないので、放ってある。それでも食べられなくなるので、早めに折り取る。毎年のことである。度忘れに葱坊主が即けられた。やや離れているかなとも思う。年をとってくると物忘れが多くなる。とりわけ、固有名詞が出にくくなる。度忘れだ。こんなことにくよくよしても仕方がない。あっけらかんと笑いのめしたい。そんな気持ちが葱坊主の何ともとぼけた形の花と響きあう。