富岡多恵子の『壺中庵異聞』を読み直した

折口信夫民俗学を学ぶ準備として弟子筋の文庫本を読み散らしてきた。こうした読書の中で、研究者としての折口の姿だけでなく、歌人としての姿=釋迢空も知らなければ不十分だと知った。そこで、入門書として読んだのが富岡多恵子の『釋迢空ノート』(岩波現代文庫)である。これは、迢空の歌の読みの基本を教えてくれる好著だった。だいぶ昔、富岡の作品はいくつか読んだはずだ。書庫を探したが、引っ越しのとき処分してしまったようだ。文庫本で『壷中庵異聞』(集英社文庫)を探し、読みなおした。そして、私の若かったころをいろいろ思い出した。
『壷中庵異聞』は、富岡多恵子の若き日にかかわった池田満寿夫平井蒼太、齋藤昌三(たぶん)をモデル(登場人物名は異なる)とする私小説的な作品である。この本が文庫になった昭和53(1978)年ころ、私は江戸川柳に関心を持っていた。川柳の理解には江戸の風俗全体の素養が必要である。さらには古典のもじりもあるので、記紀万葉以来の古典の教養も必要になる。専門の生物学関係の書籍のほか、江戸川柳にかかわると思われる様々な関連の書籍も探していた。私は、山本佗介さんに後者の資料の探求の師匠になっていただいた。山本さんに引き連れられて浅草を中心に江戸文学の様々な現場を訪れた。谷中、青山などの墓石も探した。山本さんは様々な人にも出会わせてくれた。『壷中庵異聞』の描いている時代は1960年代だから、すでに亡くなっている人も多い。だが、『壷中庵異聞』に登場する人物のモデルはこの人だと思われる人も幾人かいる。その幾人かを挙げよう。江戸軟文学の出版元・有光書房の坂本篤。古書の販売のほか風俗関係の著書の出版も手掛けた斎藤夜居。近世風俗研究会を主宰し、江戸風俗、川柳の研究書の執筆・出版、さらには和綴じの製本を得意とする花咲一男。作品を読んだだけの人もかなりモデルとして登場する。20代後半の私には大きな責任のある仕事はなかった。だから時間があった。仕事が終わった後の時間の大半を江戸川柳関係の読書に充てることができた。だが、その後、多忙になってしまった。そして、江戸川柳の研究書の執筆の夢は潰えた。今は時間があるが、ブランクが長すぎた。そして、いろいろな物事に関心を持ちすぎ、江戸川柳からはそれてしまった。今、『折口信夫全集第一巻古代研究(国文学篇)』を読んでいる。530ページの本だが、そろそろ読み終わる。