成蹊大学での「教職総合演習」の実践記録

 成蹊大学での6年間にわたる「教職総合演習」の実践をまとめました。『教職課程年報 第21号』(成蹊大学教職課程・2012年3月発行)24ページから34ページに掲載されました。以下は、その原稿です。印刷されたものは、若干改定されています。引用などをされる際は、『教職課程年報』をご覧ください。

論稿
地域環境計画を策定する
 〜 教職総合演習b・fの実践から

山岡寛人(文学部非常勤講師)

1・はじめに
 2006年に教職総合演習を担当してから6年が終了する。筆者は、中等教育の現場で30年近く積み上げてきた環境教育の実践をベースにしながら、演習科目の内容を構想し、構築してきた。2008年度までの3年は、演習の最終段階に、グループ活動による環境教育の模擬授業を位置付けた。2009・2011年は、個人活動による地域環境計画の提案を最終段階においた。どのように演習科目を実践したのか紹介し、検討に供したい。
2・シラバスより
 2008年度のシラバスで、テーマ・概要・目標を次のように示した。「環境の問題は、人類に共通する課題でありかつ日本の社会全体に関わる課題である。こうしたフローバルな問題を考究するときも、ローカルなところから事実に基づいて総合的に考えていく過程が大切になる。この科目では、担当者がこれまで実際の生徒ともに実践してきた地域自然史学習、環境学習といったアプローチを紹介し、フィールドワークも行いながら、総合的に捉える楽しさや方法を理解できるようにする。また、履修者には実際に地域自然史や環境に関する課題の把握に取り組むことを通して総合的な認識力を養い、そうした活動の教育的意義や活かす場面を考察してもらう。」
 2008年度の授業は次のように計画し、実施した。
1 グローバル化する現代の課題と総合的な理解の必要性
2 アメニティを考える
3 地域の総合研究とフィールドワーク
4 成蹊大学周辺のフィールドワークその1
5 フィールドワークの視点
6 成蹊大学周辺のフィールドワークその2
7 地域(成蹊大学周辺)をフィールドにした総合学習へのアプローチと課題づくり
8-9 「環境教育」からの地域へのアプローチの授業実践研究
10 井の頭公園のフィールドワーク
11-12 課題をもとに3か月間の環境教育の学習展開を構想し、発表方法を検討する(グループ活動)
13-14 構想した学習展開を発表(グループによる模擬授業)
15 まとめ
 2009・2011年度のテーマ・概要・目標は2008年度とほぼ同様であるが、授業の7および11-14は次のように変更した。
7 地域(成蹊大学周辺)をフィールドにした総合学習へのアプローチと地域環境計画策定
11-12 地域環境計画の策定と小冊子(『私の地域環境計画』)作成
13-14 地域環境計画の提案と検討
 なお、2011年度は震災によって派生した夏場の節電対策による後期授業開始の延期などのため、授業日程が変則的になり、授業の進行を一部圧縮して実践した。
3・グローバル化する現代の課題と総合的な理解の必要性
 最初の授業は、担当者の自己紹介と、これからの演習の進め方の概要が中心になる。筆者の著作物は多いが、環境問題にかかわる中学・高校生対象の書籍の中で、「生活(活動)の基本は、自給自足を最大限、追求してみることです。自分の食糧は自分で生産します。」「エネルギー源(熱源)も自給をめざします。」「中学校・高校の理科(生物)の教師を続けてきました。こうした経験を生かしながら、都市の住民といっしょに、農山村の自然のなかでフィールドワークを楽しみたいとおもいます。…広い庭や田畑、裏山がフィールドワークや作業の教室になります」(山岡1998)と、中等教育学校定年退職後の自身の生き方を宣言した。この宣言が退職後7年のいま、どのように実践されているかをスライドで紹介した。スライドには筆者が転居して居住している農村の景観、筆者の畑・水田などでの作業と作物、薪小屋と薪、フィールドにしている地域の景観、筆者の訪れたツンドラ・タイガ・熱帯多雨林など世界のさまざまな景観、俳画や生け花の作品などが含まれる。すべてが「総合的」な「もの・こと」であることがキーワードになる。このような筆者の今の活動を可能にしているのは、中等教育に携わった38年間の教育実践活動のさまざまな経験だともいえる。教育実践活動はきわめて多面的で、「総合的」な営みである。教職総合演習は、未来の教師のための「教師教育」であると考える。授業のさまざまな場面で、筆者が受け継いできた多様な「教師文化」を伝承することも「総合的」な教師の力量をつけるために必要と思う。
 さて、現代の社会は、地球環境問題、食料問題、人口問題、南北間格差問題、民族間の紛争など多数の難問を抱えている。いずれもグローバルな課題でさまざまな問題が複雑に錯綜している。視野は世界にもちながら、具体的な解決には地域からの具体的な行動が欠かせない。地域の積み重ねが世界を作っているのだから当然のことではある。だが、具体的な糸口を見つけることは大変である。やはり、このためには「総合的」な力量が要求される。次のような例示により、理解を図った。
地球環境問題の一つに温暖化がある。地球は薄い大気の層(大気圏)に取り巻かれている。大気圏があり、これを構成する気体のうちの水や二酸化炭素といった温室効果ガスにより地表の極度な寒冷化が防がれている。温室効果ガスがなければ、熱は宇宙空間に逃げてゆき、地球は氷りつき、生物が存在できなくなる。地球史上の最近は氷期間氷期のくり返しで、いまは間氷期にある。この繰り返しの要因は地磁気をはじめとする太陽活動、そして地球自体の自転もかかわる。全地球的な異常気象が問題にされる中で、IPPCによって地球温暖化が問題にされ、人間の産業活動による地球温暖化ガスとされる二酸化炭素の排出がクローズアップされた。数値的根拠になったのは、巨大コンピュータによるシュミュレーションである。この式には当然のことながら、流体力学方程式・状態方程式・質量保存測・熱力学第一法則などさまざまな物理法則、気候モデルが組み込まれている。代入される値により結果は大きく異なる。温暖化という地球環境問題のたった一つだけをとりだしても、これらのようなことを検討しなければならない。
 いずれにしてもさまざまな学問の基礎の理解のもとに「総合的」に考えなければならない。もちろん、個人の努力では理解に限界はある。だが、教師はこれらの事情をきちんと認識しておく必要があろう。
 授業はシラバスにある通り、筆者が中等教育の現場で実践したフィールドを重視した環境教育の検討を中心に展開することを伝えた。
4・アメニティを考える
 パワーポイントのスライドなどを示しながら、次のような問いかけを積み重ねた。環境教育の一場面を中学・高校生という生徒の立場に立って考える演習である。
①私たちの周りには「もの」があふれている。教室の中の「もの」を列挙してください。次に、窓の外、さらには駅から大学までの通学途中に見た「もの」を列挙してください。
<注>次の②で論議したいイヌ、ネコ、キンギョ、スズメ、ダイコン、リンゴ、カーネーションなど家畜、愛玩動物、人間と共存する生物、野菜、果物、花卉などは学生から挙がりにくい。こうした「もの」は、こちらから補足的に示し、検討に供する必要がある。
②「もの」を大きく二つに分けることが多い。すなわち、自然そのものである「もの」=自然。人間が作りだした「もの」=人工という分け方である。列挙した「もの」を自然、人工に分けよう。
<注>学生から挙がったアルミ、鉄などが論議を呼ぶ。また、イヌ、ネコ、キンギョ、スズメ、ダイコン、リンゴ、カーネーションは生物だから自然という意見が多い。スズメを除いて、ほかは人間が作りだしたものではないかという反論が出てくる。なお、スズメは人間の生活に密接に関係し、集落の消失とともにそこからはいなくなることをこちらから補足した。学生たちの論議を踏まえ、単体の金属、家畜、愛玩動物、野菜、果物、花卉など人間が自然を作り変えた結果、存在する「もの」があることを指摘した。筆者はこのような「もの」を人間化された自然とよぶ。スズメも広義には人間化された自然と言える。また、人間の活動の影響を全く受けていない「もの」はないといってよいだろう。このあたりの中等教育における授業実践事例は山岡(1995)に詳しい。2009年度まではこの論文を学生たちに批判的に検討させた。
③身の回りの「もの」および「もの」が引き起こす「こと」が、広い意味での「環境」である。地球上の「環境」はすべてのところで、人間の活動の影響を受けている。さて、「環境」はいったい誰のものか。
<注>無言のことが多い。私たちのもという答えが返ってくることがあるが本当か。
④「もの」にはたいてい持ち主がある。私有・公有という分け方をすることがある。それでは次は?A土は誰のものか?B草は誰のものか?C木は誰のものか?D星は誰のものか?ひきつづいて、スライドでカラス、アゲハチョウ、ポイ捨ての空き缶、ゴミ袋、古新聞が束ねられたものなどを次々示した。
<注>A〜Cについては、土地の持ち主によって私有か公有かが決まるということはすぐに出てくる。Dについては私有・公有という二分法ではうまくいかないことが指摘される。カラス、アゲハチョウのような野生の動物は土地には縛り付けられておらず移動してしまうので持ち主は決めづらいという声が出てくる。ポイ捨ての空き缶、ゴミ袋には持ち主はなさそうだという声が出る。古新聞が束ねられたものも同様な意見が出る。そこで、古紙持ち去り・高裁で逆転有罪判決の新聞記事(2008)を資料として示した。
⑤E空気は誰のものか?F海水は誰のものか?G地下水は誰のものか?F川の水は誰のものか?
<注>ここで、民法(239条以降)で規定されている無主物という概念を示した。なお、民法では水産資源を中心とした野生動物が中心である。⑤で問いかけは終了する。
⑥私有物・公有物であっても「もの」がつくりだす世界は無主ととらえたい。それには、景観・たたずまい、静けさ(音の風景を含む)・においなどが含まれるだろう。そして、この延長にアメニティーという概念が登場する。アメニティーという言葉は現在ではさまざまに使われているが、宮本が環境問題で初めて主張した「市場価格では評価し得ないものをふくむ生活環境」「人間の居住環境と関連した自然や歴史的文化財」「市民が生活の中で日常的にすぐれた文化を容易に享受できる」(宮本1984・1989)という実践的な定義のインパクトを再評価したい。
⑦私の町の大好きな「もの」・「こと」・「ところ」は何か、どこにあるのかを探ることがThink Globally Act Locallyという環境教育の重要なおさえどころになる。環境教育では、学習の最終段階で、子どもたちによる地域のアメニティー評価を出発点にしながら、より過ごしやすい町にするにはどのようにすればよいのかを「地域環境計画」として具体的に提言させたい。
ここまでは、2007年7月茨城県潮来の小学校6年生の「親子ふれあい授業」で実践したものとほぼ同じ内容の授業(「ことば」は小学生対応)であることをたねあかしした。中学・高校ではさらにグレードアップした授業にしなければならない。さしあたって追加すべき概念は何か。
 まずは私有地・公有地の境界上に登場する「入会・入会権・総有」という概念であろう。法には成文法と不文法とがある。不文法の範疇に、一定の範囲の人々の間で反復して行われ拘束力が強く感じられているものである「慣習法」がある。また、慣習法に準じた事実として行われてきたことを「慣行」という。日本の農山村にはかつて「入会慣行」があった。山林・原野の共同利用が代表的である。明治民法では「入会権」として位置づけられ、「総有」の性格をもっていた。このため、共同利用の権利を各人が勝手に分割請求・処分できない。また、農山村から転出すれば権利を失う。だが、1966(昭和41)年「入会林野近代化法」が施行され、入会権を近代的所有権に切り替える政策がとられた。この結果、「入会地」(入会林野)は生産森林組合・個人の所有・経営にまとめられてきた。しかし、実際には入会慣行が存続し、農山村の村人たちの間で意識されてきた。そして、このことが日本の自然資源を保ってきた側面が大きい。このことを再評価するのが「タイトなローカル・コモンズ」という概念である。
 コモンズは、Elinor Ostrom(1990)によって提唱された概念で、「自然資源の共同管理制度、および共同管理の対象である資源そのもの」と定義される。このうち、「自然資源にアクセスする権利が一定の集団・メンバーに限定される管理制度」がローカル・コモンズである。ローカルコモンズは次の2つに分けて考察されている。
①タイトなローカル・コモンズ:「利用について集団内である規律が定められ、利用に当たって種々の明示的あるいは暗黙の権利・義務関係が伴っている」。
②ルースなローカル・コモンズ:「利用規制が存在せず集団のメンバーなら比較的自由に利用できる」。
なお、ローカル・コモンズに対応する概念はグローバル・コモンズで、「自然資源にアクセスする権利が一定の集団・メンバーに限定されない管理制度」「将来地球レベルで成立するであろうコモンズ」と定義される。(井上・宮内2001)
筆者は、環境教育における新たな概念として「コモンズ」の重要性を感じる。だが、筆者はこれまで実践してきた環境教育において「コモンズ」を生かした実践事例をもたない。先ほどの井上・宮内(2001)、秋道(2004・2010)、Ostrom(1990)などの文献を紹介した。学生たちの将来の新たな実践の開発を期待したい。
5・地域の総合研究
 地域の総合研究の歴史は極めて浅い。前史的な研究として県・市町村史をあげることができるだろう。ここでは多くの場合、考古学、歴史学民俗学の研究成果、近年では自然誌の研究成果が取り上げられる。だが、それぞれの地域における研究成果が列挙されるだけで「総合化」されたものは少ない。こうした事情は、学問分野が細分化されていることが大きく関係するのだろう。また、地質学、地形学、地史学、生態学など自然誌関係では、「地域」を研究フィールドにしただけでは「学問的」成果が上がりにくいということで、永らく「地域」は研究の対象にされてこなかった。だが、近年ケーススタディーとしてさまざまな地域で研究が始まりだした。
 新しい「学」として、成蹊大学の隣の大学ともいえる東京経済大学により、「多摩学」が提唱されている。出発は、1985年に実施された東京経済大学共同研究「国分寺市の総合研究」である。国分寺市東京経済大学の所在地である。この研究の成果は、やがて1990年の東京経済大学特別企画講義「多摩学」に発展し、1991年に『多摩学のすすめⅠ』としてまとめられ、出版された。副題には「新しい地域科学の創造」と記されている。次のように目次と概要を執筆者の専門とあわせて紹介した。
「序章 多摩学の試み 柴田徳衛(地方財政論、都市論)、1章 多摩のくらし 1多摩の人口集中と交通 姫野侑(交通論) 2多摩の高齢者福祉 奥山正司(老年福祉学)、依田精一(家族法法社会学)、岡田彰(福祉行政)、2章 多摩のしごと 1経済発展の歴史 柴田 2多摩の小売業 中村孝士(中小企業論) 3多摩の商業 宮下正房(商業流通論) 4多摩の農業 須江国雄(農業論) 5多摩の工業 柴田、3章 多摩のれきし 1五日市憲法の発見 新井勝紘(近現代史) 2多摩の歴史を動かした人たち 色川大吉(近代史)、4章 多摩のしぜん 1多摩の植生 廣井敏男(植物生態学) 2多摩の地形と地質 堀田進(進化学)、5章 座談会 なぜ地域学が大切か 増田四郎(西洋経済史)、柴田、小川達郎(東京新聞)」
ホームページで「『社会科学』を実践的に学べる文系総合大学」と自己紹介する大学の陣容による研究の色彩が強い。この講座はその後も続き、1993年には「新しい地域科学の構築」という副題で『多摩学のすすめⅡ』、さらには1996年に「新しい地域科学の展開」の副題をもつ『多摩学のすすめⅢ』が出版されている。Ⅱは、「序章 期待される多摩像 1章 自然との共生をさぐる 農と緑の都市計画、連帯する地域農業、多摩地域の水、公害行政はいま、2章 くらしをどう構築するか 財政水準からみた多摩都市、ごみ減量・資源化への提案、現代の子育てと親の意識、社会体育行政の問題点、3章 地域をどうつくるか 多摩開発の「遺産」、パートナーシップ型地域づくりを、座談会・市民が提言・提案する時代へ・まちづくりと女性、終章 ふたたび「多摩学」を考える 多摩学は成立するのか、「地域」の総合研究をめざして」という構成である。Ⅲは「序章 世界から見た多摩、1章 江戸・東京と多摩の役割、2章 多摩の工業化の軌跡、3章 都市空間の創造に向けて 多摩の輸送体系から、4章 高齢化 発想の逆転を、5章 多摩の「緑」昨日・今日・明日、終章 楽しい多摩をつくろう」で構成される。
地域学が講座として開設されている大学がある。「世界でも例がない」という「水俣学」講座を開設している熊本学園大学である。「水俣学」を構想した原田は次のように思いを語る。「いのちを大切にする学問」「バリアフリーの学問、専門の枠組みを超える学問、そして『素人』『専門家』の枠組みを越えた市民参加の開かれた学問」「現代のシステム(装置)が引き起こした構造的な事件…装置を変革、破壊する学問」「足元の現実に根ざした学問」(原田・花田2004)
次に、「大人のための総合学習」を提唱した上越教育大学の実践を検討した。上越教育大学は、「平成12年、大学改革の一環として学習臨床講座を設立」し、「総合学習分野を開講」した。その際、総合学習は「学校の内部だけでは無理」で、「学校をとりまく地域を変えることこそが重要」と考えた。そして、「総合学習を推進するための大人社会からのサポートに主眼を」おくことにした。そのため、教師・親が「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考える」ことになったと、取り組みを紹介している(川村2003)。この取り組みをまとめた出版物である『地域から考える総合学習』は、次のように構成される。「はじめに(川村知行・仏教美術史) ◆総論 『はてな?』からの総合学習(大悟法滋・植物系統分類学)『地域』で総合学習する(川村)◆環境から考える 『棚田』におけるコメづくりから自然の営みについて学ぶ(長谷川康雄・珪藻学) 『川』から人の生活を考える(濁川明男・教育学)◆文化から考える 中世の山城に学ぶ(小島幸雄・上越市教育委員会学芸員・考古学) 『かたち』から文化と歴史を読む(川村)◆都市から考える 『都市景観』から地域と歴史を見る(浅倉有子・日本近世史) まちの形から地域をよむ(中西聰・上越市教育委員会学芸員文化財) 『記念碑』から社会と平和を読む(二谷貞夫・社会科教育)」(川村2003)。このうち「中世の山城に学ぶ 地域素材活用のモデル」の論文を講読させ、批判的に検討させた。なお、2010年度後期に、成蹊大学による公開講座「むさしの 昨日・今日・明日」が5回開催され、新聞で「成蹊大で『武蔵野地域研究』開講」と報道された(朝日新聞2010)。
 以上のような基本的な文献を紹介、講読し、「足元の現実」を探る営みといえるフィールドワークの授業にはいった。
6・フィールドワーク
 フィールドワークは成蹊大学周辺で2回、井の頭公園で1回実施した。それぞれの観察ポイントは次のとおりである。
 成蹊大学構内の巨木の一つはヒマラヤスギである。ヒマラヤ北西部原産のマツ科の樹木である。胸高直径は60cm近くある。西洋庭園造成のため新宿御苑に導入・育苗されたものと考えられる。もう一つの巨木は大学のシンボルにもなっているケヤキである。並木の梢には大気汚染による異常黄葉がみられる。幹の北側にはノキシノブの着生しているものがある。霧など水分の供給があるのだろう。校門を出た五日市街道に面したところに武蔵野市教育委員会による市指定天然記念物「成蹊学園のケヤキ並木」の標識解説板がある。
 街道に沿い、東に移動すると向かい側に武蔵野市立第一小学校がある。小学校のナンバースクールの第一は、古い学校であることを思わせる。同校ホームページより、1874(明治7)年に安養寺に発足し、1911(明治44)年にこの場所に移転し、第一という名称が入ったことを知ることができる。学制の発布が1872(明治5)年のことだから、かなり早い時代に成立した学校であり、成蹊大学より歴史がある。
 小学校の斜め前に北方につづく長さ約900mの直線道路がある。これは、江戸時代の万治2(1659)年に始まったとされる吉祥寺新田開発の短冊形土地割の境界線をもとづく遺構だろう。北の突き当り近くなると、農家の屋敷林の断片が残存している。北側、あるいは北西側の防風林の役割を果たしたシラカシの巨木がいくつかあり、市の保存樹木などに指定されている。西に進むと、市民農園、それに附帯する堆肥製造のための落葉置き場などが観察される。また、生産緑地もいくつかあり、キャベツのほか、武蔵野の在来野菜(伝統野菜)として著名なウドの大きな畑もみられる。下足入れを活用した野菜販売の無人スタンドもある。農家のヒイラギによる長大な生垣、これに並行するケヤキの屋敷林は貴重な景観を作りだしている。
 やがて、千川上水にぶつかる。玉川上水の分水である。台地上にみられる流れで、人工的な掘割の証拠になる。植栽され、親水公園として整備された景観、樹木の観察をしながら進む。途中で南下すと扶桑通り公園がある。児童公園だが、コナラ、イヌシデなどが見られる。これらの樹種はいわゆる武蔵野の雑木林の重要な樹種で、かつての薪炭林の残存、断片であることを思わせる。
 附属中学・高校の敷地の西側に連なるシラカシスダジイの防風林を経由し、南側の防風林に至るが、これはもともとあったケヤキシラカシを補植、さらにはウバメガシといった武蔵野にはなかった樹種の生垣を造成したもので、誤った修復であることを指摘した。以上が第1回のフィールドワークである。第2回目はこの続きをフィールドワークするが、紙面の都合で、詳細な紹介は省略する。
 井の頭公園でのフィールドワークの中心は台地に成立する成蹊大学周辺にはない低地・斜面という地形面の観察と体感である。この点を意識しながら次のような観察ポイントをつないだ。集合は中之島にある井の頭自然文化園分園表門入口である。ここは低地で、水鳥、淡水生物が展示されている。また、ラクウショウの植栽がめだつ。池の水は濃い緑色に濁っており、透視度は10㎝ほどしかない。富栄養化で汚濁しているのである。水質を少しでも改善するための手立ての一つが噴水による曝気である。狛江橋を渡る。池の周りは低地である。台地と比べると成立の歴史が浅く、やわらかな地盤である。受講生が多ければ(中学生40人の実践例がある)一度にジャンプして着地すると地面がゆさゆさ揺れることを話す。
 交番のわきに階段がある。斜面にある道は坂か階段だ。階段の一段の高さと数を数えれば低地と台地との比高差が求められる。緩い斜面は宅地に利用されることがある。斜面の傾斜はブロック塀の基礎と坂との接線で測定できる。やがて台地に出る。井の頭弁財天参拝の入口である黒門をめざす。神田上水水源の文字の刻まれた江戸時代の大きな石柱がある。ここから表参道を歩く。周囲には住宅が密集し、アスファルト舗装され、雨水が地面にしみこまないことを確認する。イチョウの大木の植枡に朽ちた看板が落ちている。雨水透水枡という文字が見える。地下水の涵養をめざしてはじめられた市民運動の団体がかつて設けたものだ。イチョウのすぐ近くに宇賀神の石像がある。ハスの花の上に体はヘビ、頭は神面の神像である。江戸時代につくられたもので弁財天の別の姿である。寄進された宇賀神像は神田川流域にかなりあるのではないか。筆者は3か所で確認している。弁財天に面する階段のわきに「紫灯籠」と称される一対の大きな石造の灯籠がある。台座に刻まれた文字に江戸の紫根問屋・紫染屋の名前が見つかる。井の頭池神田川(上水)の水は染色に適していた。現在も神田川沿いに染色業が多い。中学1年生が電話帳で拾った染色業の所在地を地図にプロットして明らかにした実践事例がある。
 参拝のための急な20段の石段を下る。弁財天は低地の島にあるからだ。太鼓橋のわきに東京都教育委員会の建てた「東京都指定史跡井の頭池遺跡群」の解説板があり、近くに縄文時代の集落があったことがわかる。日当たりがよく、飲み水の得やすい地であったことが想像される。看板のわきに水が流れ、池に流れ込んでいるが、ポンプアップされた井戸水である。かつて7つの湧き口(湧壺という)があったと伝えられ、七井の池といわれていた。この名称は吉祥寺駅から来た時に渡る七井橋、弁天堂の裏にある七井不動尊にのこる。湧き口は東京層という海生層の上にある厚さ3-8mの武蔵野礫層にある。この礫層は古多摩川の氾濫がつくりだしたものだ。都市開発による周辺の雨水透水層の激減、さらには礫層にあった水脈を破壊したと考えられる公園に隣接するマンションの建築などにより湧水は止まった。現在は井戸水をくみ上げ、それを注ぐということにより、池の水が維持されている。お茶の水を称される石の井筒の水も同様だ。整備・清掃の工事などの時には湧水はきちんと止まっている。湧水の枯渇が池の水質悪化に拍車をかけた。竹炭を組み込んだ竹のいかだ、いかだでクレソンを栽培するなど市民団体による水質浄化の試みが行われている。
 ここから階段を上り御殿山に出る。クヌギ、コナラ、イヌシデの雑木林である。かつての薪炭林の残存である。かつては20-30年に1回伐採し、萌芽更新を図るという施業が行われていた。現在では放置され、いずれも樹高20mに近い巨木に成長してしまった。国木田独歩が紹介した武蔵野の雑木林の樹高はせいぜいのところ10mだ。江戸名所図会にみられた井の頭池の周辺の斜面、台地のスギ林は、太平洋戦争中の1943年にかなり伐採され供出されてしまった。スギの子孫はわずかに残り、林床に武蔵野の植物であるタマノカンアオイエビネヤブランヤブミョウガ、ジャノヒゲ、シュンランなどが保護されている。池の東端にある神田上水取り入れ口を急いで目指し、フィールドワークは終わる。
7・フィールドワークをまとめる視点
 近年、民族学社会学言語学建築学さらには教育学などの分野でフィールドワークの手法をめぐった書籍が多数出版されている。また、フィールドノートの焦点をあてたものも出版されている。これらは参考になるが、フィールドワークという言葉を用いずにその姿勢を示した「武四郎はまた、歩く人だった。歩きながら考え、歩きながら観察し、歩きながら記録した人だった。したがって、彼の眼の高さは、その地で暮らす人びととおなじ高さにあった。自然のうちから感謝して日々の糧を得、子を育て、隣人と談笑や歌舞をたのしみ、やがて土に帰る人生を世々送る人びとに、神につうずる心とふるまいを感受することができた人だった」という花崎(1988)の言葉を大切にしたい。
 学生には1万分の1の地形図を渡してある。定位が大変なようだ。歩いたルートを赤ペンでたどらせ、観察ポイントに通し番号を付け、フィールドノートブックに観察したことを記録させる。苦労しているようだが、場数を踏む以外にない。まとめは記録を振り返るとともに、観察した「もの」の背後にある「こと」を探らなければならない。そして脈絡のなかった観察ポイントをつなぐストーリーをつける必要がある。指導する側である教師はそれなりのストーリーが組めるようなポイントの選択をしなければならない。
 今回のフィールドワークのストーリーは地域の地形と土地利用の変遷とした。新たなツールとして、日本で最初(1880年測量開始、1886年製版開始)の近代的な地形図である縮尺2万分の1の迅速測図を用いることにした。江戸の外れであった新宿からはるかに離れたこの地域は、江戸時代とほとんど変わらない農村地域であった。もちろん図幅の中には成蹊大学はないが、現在の地形図と同じルートをたどることができる。歩いたところの大半は江戸時代から使われている道なのである。そして、新田開発の短冊形の土地の区割りが浮かびあがる。台地の上は畑、低地の中央の河川と周辺の水田、斜面の森林という土地利用に注目しながら、地形区分の塗り分けという加工を迅速図に施す。
 このような作業ふまえながら、中等教育におけるこれから先の授業の展開の実践例を山岡(1999)の論文を講読し、検討させた。また、環境教育の最終段階で取り組ませたい地域環境計画における地域研究の手法などを述べている参考文献として山岡(2000・2005)を紹介した。さらには、山岡(2010)を講読し、検討させた。これは、小学校高学年の子どもが教師・親と読みすすめることを想定して書いたものである。しかし、背景は筆者の中等教育の現場における環境教育の実践である。したがって、授業の構造でもあり、教師のための環境教育のガイドでもある。
8・地域環境計画の策定と発表
 まず、現在の居住地あるいは郷里を地域として、それぞれが休日などを利用してフィールドワークを行い、アメニティを評価させた。続いて、筆者の指導による高校生の地域環境計画の小冊子を作例として示した。さらにはテキストにある環境計画策定のマニュアル(山岡2010)などを利用させ、A4判4枚に地域環境計画を策定させた。なお、途中にフィールドワークの内容、アメニティの確認、環境計画の方向性などにつて個別指導の時間を入れた。
 受講生が作成した地域環境計画は学校印刷文化であるB4判用紙の裏表に縮小印刷し、二つ折りし、教職総合演習b・fの2クラス分をあわせて製本して小冊子にした。この一連の作業は、学校現場ですぐに役立つノウハウでもある。
 授業の最終段階は、1人持ち時間15-20分で、小冊子のページを用いながら、そのほか写真など掲示物、実物を援用しながら発表させた。発表後に個々の作品について、指導者である筆者が作品の内容、発表に技法などについて講評を行った。受講生の作品は、中等教育で行う1年間約140時間に及ぶ環境教育の結果の作品とは単純に比較はできないが、それなりの力作が提出されている。なお、小冊子『私の地域計画 2010年度』および『同 2011年度』は、少数部を成蹊大学教職課程図書室に寄贈してあるので、関心のある方はご検討願いたい。

引用文献

秋道智彌2004『コモンズの人類学文化・歴史・生態』人文書院
秋道智彌2010『コモンズの地球史 グローバル化時代の共有論に向けて』岩波書店
朝日新聞2010「成蹊大学で『武蔵野地域研究』開講」 東京むさしの面 10月7日朝刊
Elinor Ostrom 1990『Governing the Commons』Cambridge University Press
花崎皋平1988『静かな大地 松浦武四郎アイヌ民族岩波書店
原田正純・花田昌宣編2004『水俣学研究序説』藤原書店
井上真・宮内泰介編2001『コモンズの社会学新曜社
川村知行編2003『地域から考える総合学習北越出版
宮本憲一1984『都市をどう生きるか アメニティへの招待』小学館
宮本憲一1989『環境経済学岩波書店
東京経済大学多摩学研究会編1991『多摩学のすすめⅠ』けやき出版
東京経済大学多摩学研究会編1993『多摩学のすすめⅡ』けやき出版
東京経済大学多摩学研究会編1996『多摩学のすすめⅢ』けやき出版
山岡寛人1995「自然誌教育の実践と構想」『シリーズ学びと文化③ 科学する文化』(佐伯胖藤田英典佐藤学編)東京大学出版会 pp.119-176
山岡寛人1998『環境破壊はとめられない!?』ポプラ社
山岡寛人1999「フィールドワークを通して、地域の自然と人間の望ましいかかわりかたを知る」『中学総合的学習の手だて集①』(山岡寛人・小島昌世編)日本書籍 pp.101-120
山岡寛人2000『中学生のフィールドワーク』アリス館
山岡寛人2005『環境問題入門』旬報社
山岡寛人2010「環境教育を考える」『改訂・新データ版 私たちの地球をすくおう』(桐生広人・山岡寛人共著)童心社 pp.59-112
山岡寛人2010「自分の町の地域計画を立てよう」『新版 地域からつくるあしたの地球環境』(本谷勲・滝川洋二・町井弘明・三輪主彦・山岡寛人)実教出版 pp.98
読売新聞2008「古紙持ち去り罰則OK高裁、世田谷区条例は適法」 1月10日夕刊