『先生とわたし』(四方田犬彦)は「子弟論」とともに「親父論」でもある

四方田犬彦の『先生とわたし』を読んだ

 朝日新聞に掲載された鶴見俊輔の座談(対談)をまとめた『新しい風土記へ』(朝日新書、2010年)を読んでいて、四方田犬彦の『先生とわたし』が気になった。
『先生とわたし』(新潮文庫)は「自伝的師弟論」だ。師は、四方田の東大教養学部・大学院生時代からの先生である英文学者・由良君美(1929-1990)。1章から4章に、師との出会いから反目、そして師に対する「裏切り」が生々しく語られる。しかし、激情に奔るところはない。由良の成育歴、ここには由良の父親である由良哲次の生涯も紹介される。もちろん、由良君美の業績の紹介とその評価がなされる。『先生とわたし』は、由良没後17年目の作品である。このぐらいの時間を置かないと、師についてきちんと語ることは、できないのかもしれない。
 間奏曲と5章は普遍化した師弟論である。間奏曲の冒頭は次のように始まる。「人はなぜ教師となるのか。ある人間が他人を前にして、モノを教えたり、ある技術を授けたりするという行為とは、いったい何なのか。それはどのような形で正当化されうるものなのか。」(236p)というラディカルな問いかけだ。そして、そのあとすぐにつぎのような論点の核心が述べられる。「教師は当座に要求されている知識を切り売りするだけではなく、みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する。この行為が学ぶ側にも理解され、両者の間に人間的な信頼関係が打ち立てられたとき、彼らは師と呼ばれ弟子と呼ばれることになる。理論や教説を説明するだけでは師になることはできない。理論に基づいてときに危険を顧みず進んで実験を手掛けたり、教説を個人的にも信奉しながら、それに見合った生活を提示することができて、はじめて教師は師として認められる。教師は知を運搬するが、師はみずから例証する。そして弟子は長期にわたってそうした師の姿を眺めることを通し、容易に要約のできない体験をする。」(237p)あとは、山折哲雄著『教えること、裏切られること 師弟関係の本質』(講談社現代新書、2003年)、ジョージ・スタイナー『師弟のまじわり』などを下敷きにしながら、さまざまに例証していく。
 濃密な師弟関係の実例がいくつも紹介される。そして、四方田は次の3点にまとめる。(番号付けは山岡)
①「師とは過ちを犯しやすいものである。」(274p)
②「師は絶大な権力をもって弟子を蹂躙し、しばしばその魂を破滅させる。彼は弟子を心理的に呪縛し、両者の関係が終わったのちも弟子に癒しがたいトラウマを残すことになる。」(274p)
③「「師とは脆いものである」」。「師は弟子の前で知的権威として振る舞いながらも、その一方で、年齢的にも若く、新進の兆しをもった弟子に羨望を感じている。条件の整わなかった時代に自分が行わざるをえなかった試行錯誤を、弟子はしばしば簡単に解決してしまう。彼は新しい方法論をもとに、師には思いもよらなかった道に発展してゆく。弟子が自分の未知の領域に進出して自己を確立し、かつて自分が教えた領域からどんどん遠ざかってゆくのを、師は指を銜えて眺めていなければならない。だが自尊心は嫉妬と羨望を率直に口にすることを阻む。」(275p)
 四方田のいちばん述べたかった師弟関係の本質は上の③であろう。四方田はいみじくも、「わたしは弟子の観点から師を仰ぎ見ることに懸命であって、師の側に立って弟子を見るという発想をまったくもちあわせていなかった…短らぬ歳月が必要だった。」(278p)と述懐する。
 師弟関係は中等教育に携わってきた私にとって無関係なことではない。中等教育は高等教育、研究の世界とはもちろん異なる。しかし考えなければならないことは多そうだ。振り返ると、忸怩たるものが多い。
 なお、鶴見俊輔は、『先生とわたし』を「読み終えたとき、率直にいって、涙がこぼれました。」(86p)と、唐突に述べていた。これは多分、鶴見の父親・鶴見祐輔との確執が由良君美とその父親・由良哲次との確執とが響きあった結果だろう。そして、父親との確執が解消するには長い時間がかかることを物語っているようにも思う。『先生とわたし』は「親父論」でもあった。